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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、つまり筋肉との関係がないさとりは遊戯的になるのである、、、

下図、毛筆で描いていく円い形への線表現、変化を上と下に試みた一枚、
―p.302‐広辞苑‐岩波書店‐ えん・そう エンソウ【円相】〔仏〕①まるいすがた。円形。②禅で、悟りの象徴として描く円輪。一円相。③曼荼羅(まんだら)の諸尊の全身を包む円輪。④(京都五山の僧の語)銭一貫文の称。―
.....思索があっても、それは筋肉の動きの上におこなわれた、....と、昨日

NO.46 7(JUILLET)1955 BOKUBI「墨美 特集 触覚性」
p.28、「よみがえる東洋」より
 鈴木大拙博士の講演集である右の書籍(読売新聞社刊)より、本号の主題「触覚」に関係すると思われる部分を抜萃紹介させて頂くことにしました。、、、(編集部)とある、
「近代生活における禅堂の意義」より、p.30、昨日のつづき、
 、、、もし絶対者というものがあるとすれば、それを相関の上にとらえんとするのが、恵能の生き方であった。沈思黙考などということをして、それから思索の上に結論し断定せんとするのは哲学者の常套で、禅者の能事ではない。それゆえ、恵能はせっせと働いた。腰に石さえつけて働いた。つまり筋肉との関係がないさとりは遊戯的になるのである。 (1955 BOKUBI)、
....つまり筋肉との関係がないさとり、書は書かれる「象かたち」、.....

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