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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、すなわち修禅なので、概念的に遊離したものをつかもうというのでなかった、、

下図、二つの円形を書く、外側に変化を求め、内側に変化を求める二つ、
―p.481‐双圓そうえん・サウエン 「二つの圓の意で、「圓のまた圓」を意味し、「圓満この上ない」ということ。『性霊集』六(四六)「双圓の大我」とは大日如来をさし、その徳は広大無辺で圓満至極であることから、このような表現を用いた。なお、引用文は「広大無辺の完全に圓満な徳を具える佛は、真如の道理を一言にて説き示し」の意。、、とある、‐日本佛教語辞典‐平凡社―
.....変化の表現、それは筋肉の動きの上におこなわれる表現.....

NO.46 7(JUILLET)1955 BOKUBI「墨美 特集 触覚性」
p.28、「よみがえる東洋」より
 鈴木大拙博士の講演集である右の書籍(読売新聞社刊)より、本号の主題「触覚」に関係すると思われる部分を抜萃紹介させて頂くことにしました。、、、(編集部)とある、
「近代生活における禅堂の意義」より、p.30、昨日のつづき、
 西暦第八世紀の頃、恵能という人が唐にいた。この人が、弘忍といって禅宗の第五祖に当るが、その人の下で修禅をしたとき、米つきをやったり、薪わりをしたりして、普通の坊さんとは違っていた。この恵能にとっては、生活がすなわち修禅なので、概念的に遊離したものをつかもうというのでなかった。それゆえ、思索があっても、それは筋肉の動きの上におこなわれた、生命そのものの躍動を離れたものでなかった。、、、とある、 (1955 BOKUBI)、つづく
.....墨線は、生命そのものの躍動をはなれたものではない.....

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