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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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鑑賞も、またかかる創造的契機なしには成り立たぬのである。

2013.9.2、パリの日が沈んだ、タクシーからのエッフェル塔

昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社 つづき、
―鑑賞することー p.212.213より、
、、、美というものには、このような創造性を見落とすことはできない。鑑賞も、またかかる創造的契機なしには成り立たぬのである。
 もとより、その作品を鑑賞することは、ほかの作品を鑑賞することではない。まさにその作品の、固有の色と形を見ることである。その色と形においてでなければ自覚できない自己の生を自覚すること、まさにその作品の美を見いだすことである。生とは、人間と対象との連関にほかならなかったから、自覚されてゆく生には、当然、その場所となっているものの個性が生きていなければならぬ。だから、自己の生命的自覚に訴えなければ見いだされぬ美でありながら、それは、それぞれの対象固有の美として見いだされるのである。  という(1956年の井島勉)氏、  つづく、、、

2013年、現在の書を、、、「自覚されてゆく生、、、個性、、、対象固有の美として見いだされる、、、」といった美についてを、、、創造性を見落としてきてはいないのだろうか、、、さらに明治十五年の「書は美術ならず」の時代の書と現在の書とを、、、いまだ、筆で字を書かくことが「書」だとしてはいないのだろうか、、、書をほんとうに鑑賞することができる書の人たちは、どうしていないのだろうか、、、と井島氏は嘆いているのかもしれない、、、

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