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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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自己の生の自覚に訴えながら、対象を見ることが、対象の美をつくり出すのである

2013.9.2、可比丹、セーヌ河岸にて、


昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社 つづき、
―鑑賞すること― p.212より、
、、、私は、前に、色と形そのものがそのまま美しいのではなくて、その色と形をみることのうちに、自分がその色と形と合一していること、いいかえると、自分が、その対象の前に現に生きていることを、直接的に自覚するのだということ、したがって、自己の生の自覚に訴えながら、対象を見ることが、対象の美をつくり出すのであることを力説した。だから、言葉の上では、「この菊は美しい」といったりもするが、実は、菊そのものが本来的に美しい形ではなくて、人間が、自己の生命的自覚に訴えつつ見る目が、その菊において一つの美を創造するのである。菊は、ただそのような美がつくり出される場所となっているにすぎぬ。もちろん、場所が変われば、いいかえると、対象が変われば、そこに見いだされる美は、必ずしも同一ではない。これが同じモデルからでも、作風の異なる絵がつくりあげられることの理由でもあった。  と、いう(1956年の井島勉)氏、 つづく、、、

人間が、自己の生命的自覚に訴えつつ見る目が、、、その菊において一つの美を創造する、、、
 2013年のあなた、、、自己の生命的自覚に訴えもなき見る目、、、美意識なくそこを通過してしまう見る目、、、一つの美を創造することもない見る目、、、独自性、創造性を見ることの出来ない、あなた方の見る目、、、いまのあなたは、その書において一つの美を創造しているといえるのだろうか、、、と云うだろう、、、

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