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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、當時の書家とはその着眼點に大なる懸隔あつたから、貫名の書の判らなかつたのも之を專門的に考えて見れば、少しも不思議はないのである、、、

―魚― 
・青銅器銘文檢索p.1563 5882  魚觚 [魚]

下図拓図版
・殷周金文集成釋文・第四巻ーp.377 6683 魚
   
 字數:一 
 時代:殷
 現藏:遼寧省博物館

、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふ、と天来は云ふ、、、」
昭和十三年發行 天來翁書話

實用書及び藝術書の奬勵法を異にすべきを論ず
.366.367、
、、海屋は畫を兼ねて居たから、門人も相當にあつたには相違ないが、其の最も得意として居た書道の繼承した人の殆んどなかつたのは或る意味に於て貫名の書が既に陳腐になるべき筈のものが後まで殘つてゐたから貫名の爲に幸か不幸か其の點は判らないけれども、其の生前は餘り歡迎はされなかつたことだけは事實である。今の專門家は勿論、一般の人から考へてみると、不思議のやうであるけれども、其の當時に於ける書家に比して、其の識見技倆に於て大なる相違のあつた事は勿論であるが、當時の書家とはその着眼點に大なる懸隔あつたから、貫名の書の判らなかつたのも之を專門的に考えて見れば、少しも不思議はないのである、、、(昭和六年か、) 藝術を語る天来先生、つづく

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