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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、対象の生そのものが、東洋人の尊重した「気韻」なるものの原本的な意味である、

、、、第3回立体象書研究会展準備、撮影、、、
下図、—「無」—
「影文字」に写しだされた文字を筆で同じような形を写す、こ の行為を「書写」というならば、書を書くということを全力で「写そそぐ」とはいえない、これを「筆意なき書」といっておこう。形を 写すだ けにとどまるのは(書家かきや)・・・この図は、「書作品」と「影文字」のちがい、「書」というものを分かりやすくした写真だ・・・前景の立体象書作品の捩じりながらのアール(筆意)とい う 「空間表現」の軌跡は「韻致」といわれる、、、「気韻」といわれるものの書的な意味をもつ、........高村光太郎はいう、、、書が真に分かれば、絵画も彫刻も建築も分かる筈であり、文章の構成、生活の機構にもおのづから通じて来ねばならない。........
今日はすごい雨だ!!!  ・・・第7回講習会-8月24日・25日-・・・

、、、1953年現在、、、
 墨美 No21 ― 諸芸術における空間性について 井島勉 ― 
 p.4、、、 或る場所における対象、いひかえれば、環境における存在とは、人間という存在の場合と同様に、その対象が生きているゐることである。たとへ場所や環境が限定的に画かれなくても、生きてゐる対象といふものが画かれねばならない。未限定なものにおける限定されたものを画くのであるから、当然、象徴的な方法が採られるほかはないが、かかる方法によつて画かれる対象の生そのものが、東洋人の尊重した「気韻」なるものの原本的な意味である。詩歌における「余情」や「余韻」についても、類似の構造を見出すことができるであろう。、、、つづく


......背景・余白・独自の遠近法の意味をわきまへなければ、芸術としての書は、到底生まれないであろう、、、昭和28年の井島勉氏、......


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