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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、線が紙面を走るにつれて、細部の空間が形成されて行くのである、、、

昨日は、、、「教育学部」という刻字看板を取り上げた、、、教育とは、-人間というものをつくる芸術である-然り。、、、この書に「古典の筆意」は無い、、、

下図、立体象書‐「望」字の行書体‐と、光をあてて紙面に生まれるその影の「望」字、
、、、影である「望」字にも、細部の空間が形成されている、、、とは言えなくもないのだが、しかし「書」の「筆意」というべき説明としては弱いものだ、、、書を書くことに、「意先筆後」という言葉をつかう、その「先」と「後」がはっきりと意識されていないのだ、書かれた「書」が薄っぺらくなってしまう、、、昨日の看板の「筆意」だ、何度でも言っておこう!!
・・・古典なき筆意は空虚であり、方法なき書作は盲目である・・・

、、、1953年現在、、、
 墨美 No21 ― 諸芸術における空間性について 井島勉 ― 
 p.4、、、 筆が運ばれて前景が書かれる。速く遅く、重く軽く或は延び或は曲がり、さまざまに線が交錯捨して行く。丸く脹れた空間、鋭く尖った空間等々、線が紙面を走るにつれて、細部の空間が形成されて行くのである。細部と細部との関聯、小さな細部と大きな細部との関聯が生まれる。どの細部も、紙幅といふ平面の上に構成されるのであろう。しかし、それらは、いづれも共通の背景が産出したものであつた、、、つづく


......背景・余白・独自の遠近法の意味をわきまへなければ、芸術としての書は、到底生まれないであろう、、、昭和28年の井島勉氏、......


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