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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、書における力学性は、かかる生の力学性にほかならず、このことによつて、、

、、、文字を筆で手本と同じように形を写す行為を「書写教育」というならば、書を書くということに全力を「写そそぐ」とはいえまい、、、「古典なき筆意なき行為」にすぎないものといっておこう。、、、明治15年「書ハ美術ナラス」にとどまる、(書家かきや)と(じゅくや)、、、
下図、「教育学部」と刻字された看板、、、教育とは、-人間というものをつくる芸術である-然り。、、、どうだろうかこの看板、....書を究めるといふ事は造型意識を養ふことであり、とは(高村光太郎).....、この看板の書から、古典の筆意が見てとれるのだろうか、、、右に貼り付けた8字、ー唐・虞世南・孔子廟堂碑、欧陽詢・化度寺碑・温彦博碑、孔穎達碑、隋・智永・関中本千字文ー、
、、、p.208.209‐中国書道辞典‐中西慶爾編‐木耳社‐くうかく《空画》‐実画に対する語。実線に対する虚線で、虚画ともいう。紙上に運動する筆が次の線を書くために、一たん紙上を離れて運動した時、空間に画かれた軌跡である。実画と実画との間に存在し、速度と方向と圧力とを持つ。結果的には目に見えないが、鑑賞者の心眼によって感得されるものである。この空画が、的確な方向をたどり、それ相応の速度を保ち、適宜の圧力を持つことによってその書は渾然たるものになるが、これを欠く場合は、バラバラの点画を積み重ねただけで、書とはならない。‐とある、、、

、、、1953年現在、、、
 墨美 No21 ― 諸芸術における空間性について 井島勉 ― 
 p.4、、、一枚の紙輻は、それだけでは一定の形ある画箋紙に過ぎない。書家の目がこれを見る時に、始めて無限の空間として活かされる。この「無」からさまざまの「有」が産み出されて行く。あたかも、それ自体としては未限定なる視覚性が、次々に対象を見て行くことによつて、次第に自己を実現するのに匹敵する。見ることは人間と対象との一つの関聯、いはば生の一方式であった。従つて、「有」が産み出されることは、生が表現されることを意味する。書における力学性は、かかる生の力学性にほかならず、このことによつて書の藝術性が支へられてゐるのである。、、、つづく


......背景・余白・独自の遠近法の意味をわきまへなければ、芸術としての書は、到底生まれないであろう、、、昭和28年の井島勉氏、......



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