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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、美的意識や芸術的意志は、人類の歴史と共に始まつてゐる、、、

下図、国立新美術館「第66回毎日書道展」(7/9~8/3)
可比丹(北川修久)、立体象書作品「無」、2階‐46‐にて、

、、、1952年現在、、、
第十八號 墨美 ― 諸芸術の独立と限界について 井島勉 ― 昨日のつづき、
 p.3、、、このことは、芸術の分類についても妥当するところである。人間は本来的に美的欲求や美的感受性を持つてゐた。さまざまな機会に、さまざまな動機に、美的意識の表現を試みて来た。人間の営みの殆どすべてが、衣食住の実用的生活に終始してゐた段階においてさえも、身体の動作や生活の言葉が、更には住居や器具類が、人間の美的表現に豊富な場所を提供してきた。生活意欲を充足するためには、見ることも聽くことも語ることも必要であつたらうが、嘗て別の機会に私が説明したやうに、この見ること、聽くこと、語ること自体の内部に美の成立根拠が存するのであるから、人間たちの見るもののすべて、聽くもののすべて、語るもののすべてが、彼等の美的表現の機会となつてゐたのである。たとへ彼等自身が明確な美的自覚を有してゐたか否かは別としても、美的意識や芸術的意志は、人類の歴史と共に始まつてゐるといつても過言ではなからう。、、、とある、つづく

......芸術は常に新しい創造であるべきなのだから、、、昭和27年の井島勉氏......

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