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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、維新當時の大官連中には、書の巧拙位は見分得る者が相當あつたが、今の名士には没趣味漢が多い、、、

―「魚」字― 
・左‐「金文續編」 容 庚撰 國立中央研究院歷史語言研究所專刊之八
  商務印書館發行 中華民國八十一年十月景印一版

・右‐ 頁‐巻十一 七 「魚」字、

、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふと天来は云ふ、、、」・昭和十三年發行 天來翁書話
 ‐人物本位の賞觀的揮毫物が藝術的書道に及ぼせる影響(下)‐
.312、
 、、、要するに藝術書の研究は昔から貴族階級の修養的高等藝術であつて、我々の如き貧生の學ぶべきものでは無い。古來太平が永く續くと、上流社會の人は、直に面白味の解る淺薄なる趣味を喜んで、練習の間に多少骨は折れても高遠なる趣味を會得せんとするやうな希望がなくなるものと見えて、日本も維新當時の大官連中には、書の巧拙位は見分得る者が相當あつたが、今の名士には没趣味漢が多い。近年著しく書道熱勃興して、專門雜誌の數も四五十種の多きに及んで居る。之を學ぶ者も相當に有るものと見ゆるが如何なる階級の人が之を學ぶか。 、、、(大正十二年) 藝術・書を語る天来先生。

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