忍者ブログ

立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


、、筆意即ち性情と云ふ者が全然缺けて居れば、食物に少しの味の無いのと同樣で、

 ‐古を温ねて新を知る、新を以て古となす‐立体象書研究会展‐9/15~、
下図作品、可比丹‐作品タイトル‐「生むⅠ」‐「無」、鉄線そのまま、
筆順通り筆意の空間造形、線・線・線、その出来上がる「無」の空間、

、、、昭和十三年發行 天来翁書話、、、.283
中風症と藝術的書道
學者も讀め政法家も讀め愛國の士は必ず讀め

昨日のつづき、、、單に實用のみであれば、習氣を去るとか、性情を陶寫するとか云ふ必要はないのであるが、其の模範として成るべく習氣の無い性情の見える者を選擇する必要がある。何となれば、習氣の無い手本で學んでも習氣出易い者であるのに、手本其の者に習氣があれば、學ぶ人の習氣は益々烈しくなる譯である。同じ時間を費やして學ぶには、好い者に依る方が得策であるのは勿論である。然しながら習氣であつても、古人の書には他に長所があつて、却つて實用書の模範に適する場合もある。其れが古人の尊い處である。譬へ實用として學ぶとしても、筆意即ち性情と云ふ者が全然缺けて居れば、食物に少しの味の無いのと同樣であつて、滋養分の攝取と云ふことを怠り勝になつたり或は忘れたり、油斷をして居る中に死亡する樣な結果出來せぬとも限らぬ、
、、という(大正十年の比田井天来)、つづく

Copyright (C) 2009-2014立体象書研究会 All Rights Reserved. 無断での盗用,転載など類似の行為を禁じます。使用等に関しては,必ず連絡ください。

拍手[9回]

PR