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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、一人ひとりの人間が自分のいのちを生きぬく自由に徹するということ、、、

―講習会―
、、、静かな森に囲まれた・ほっと平山での講習会、
 「筆で表現された心線に触れる」、、、これが「臨書」、いままさにその懸命になっている様子が写しだされているところです、、、ー顔真卿⋯争坐位文稿⋯、自分自身を生きるという、そこにこそ、まねることのできない顔真卿の書があり、その心があり、その墨線があるはずだ!!!、、、時をこえて中唐に、顔魯公に、、、臨書とは時をこえること、―

⋯書を究めるといふ事は造形意識を養ふことであり、この世の造形美に眼を開くことである。書が真に分かれば、絵画も彫刻も建築も分かる筈であり、文章の構成、生活の機構にもおのづから通じて来ねばならない。書だけ分かって他のものは分からないといふことは分かりかたが浅いに外なるまい。書がその人の人となりを語るといふことも、その人の人としての分かりかたが書に反映するからであろう。昭和14年・書について・高村光太郎⋯
 
昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社
―現代書教育論― (全日本書道教育研究会全国大会における講演)
p.307.308、昨日のつづき
、、、簡単にいってしまえば、われわれの念じている新しい時代の科学や道徳というものは生きている人間が、自分のいのちにうったえて、まったく自分の自発的な要求として、つくりあげてゆくような科学や道徳であってもらいたいと思う。もしそうであるとするならば、そのような意味での科学教育や道徳教育が内容を充実していくためには、当然人間が人間であること、一人ひとりの人間が自分のいのちを生きぬく自由に徹するということ、このような状態にかえすということが、これが先決であろうと思う。、、、という (1956年・井島勉氏)、つづく 、

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