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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、一人ひとりの人間として彼自身の本来のいのちを自覚させるための教科、、、

4/12.立体象書研究会講習会、
、、、静かな森に囲まれた・ほっと平山・での講習会、
淡墨、、、、紙面に表現された線は、紙質によってちがいが出るのです、たっぷりと筆に含まれた墨量は、墨のいのちを、生きる権利を、持っているんだと主張してしまう、、、一度書かれた墨線に、その上に線を重ねる、その重なった部分は二度目の線を受けつけない、、、下図に交差した部分がそうなのですが(はっきりとは写っていません)、、、線の上に線をつくろうとしでもそれはできないことなのです、、、
 
昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社
―現代書教育論― (全日本書道教育研究会全国大会における講演)
p.305.306、昨日のつづき
、、、もっと簡単にいってしまえば、古い時代の教育の場所において念じられてきた人間というものは、特定の権威というものに向かって盲従する人間であった。ところが現代の教育が理想としている人間は、自分のいのちを生きぬく確信というものをよりどころにしてその上に人生や社会をつくろうとする人間のことであります。
 そうしますと、先ほどの話にもどりますが、芸術というものは、あのような構造をもつものでありました。いきおい芸術教育というものは、いうまでもなく、一人ひとりの人間として彼自身の本来のいのちを自覚させるための教科、これが芸術教育というものですね。そういうものが芸術教育であるとしてみれば、ふるい時代においてその芸術教科が重要な意義をとんと認められなかったとしても、現在においてはその重要性をみとめられなければならないだろうということも、きわめて当然のこととして推察がつくわけであろうと思うんです。・・・という (1956年・井島勉氏)、つづく 、

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