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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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古典なき筆意は空虚であり方法なき書作は盲目である

下図、「一」の古典表現のプリント、右に⑤の「一」の表現を説明した半紙を置く、
半紙は「鄭長猷造像記」の「一」なのだが、よく見てみると、、、、面白いのであります!
表現された、「一」の上部ラインと下部のラインがちがうのですね!!!!これを表現するにあたり、仮に上部のラインの表現を「1」とします。そして、上部のラインとはことなる筆勢の下部のラインを「1」としましょう、筆勢のことなる上部と下部のラインを満足させるためには、上部「1」+下部「1」=「2」の表現になるということです。紙面に筆をおく、始筆のまえの段階でこの「2」が考えられていなければなりません!!!明治十三年我が国に齎されたという北魏の「拓」です!!!さて皆さんじっくりと、この「一」の筆意を考えてみてはいかがでしょうか!!!!
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昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社、昨日のつづき
―教育における書教育の意義― p.164
、、、優れた古筆なども、みなこうしてつくられてきた。
 絵を描くのでもよく、歌をうたうのでもよく、肉体を動かすのでもよい。そのように外界に向かって働きかけるときに、その働きかけそのものの中に自分の自由な生命を意識することができておれば、それが絵画であり声楽であり舞踏であるのだ。だから、自由に書を書くといっても、でたらめに形をつくるのではなくて、一点一画といえども自己の生命的な自覚に問いただしながらけっしておろそかにしてはならない。それは、自由な態度というよりも、むしろ不自由な自己の内部に沈潜する態度である。、、、つづく

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