忍者ブログ

立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


書が三次元で自立する立体象書

昨日、書の重量(重さ)の存在ということを書いた、、、(可比丹カピタン)です。、、、ふるい時代のふるい考え方ともいい、鎖国時代の閉鎖社会において寺子屋式手本教育として押しゆがめられて育った現代の書が、、、という(昭和31年の井島勉氏)です。
、、、書のふるいものを除いて新しいものと換えよう!ということの「もの」なのですが、この「もの」が半世紀も変わりがなく、書という「もの」の考え方がいまだに続いています!!!
 書の歴史には、いろいろなことばで説明がなされてきた「書の線の存在感」があります!!!ならば、実際に重量をともなう表現を、「書の線の存在」として表現した「もの」が「象(かたち)として」示さなければ、書の考え方はふるいままなのですがね、、、、
  「書の美学と書教育」昭和三十一年 初版 井島勉 ・墨美社、つづきます、、、

立体象作品二点、130kg「68億、生命の尊厳」心字、50kg「老耼(タン)の椅子」母字の二点
426.JPG

 ―教育における書教育の意義― p.162、163に、、、
、、、寺子屋式手本教育として押しゆがめられて育った現代の書が、そのまま正しい現代教育に適合しうるはずはない。審査員に手本を貰って日展に入選したり、はなはだしいのになると、師匠からもらった手本に自分の署名を入れて展覧会に受賞したりすることが行われもしている現代書壇の実状は、決して書の本来的な姿とはいいがたく、ましてそのような書家たちの態度を、そのまま書教育の教室におけるこどもたちの態度たらしめるごときことは、心ある人びとの絶対に許容しがたいところであろう。正しい教育の場においては、人間の在り方や社会のゆき方についても、その本来の姿が求められているように、書についても、是非とも純粋な本来の面目に還 してその本質を見いだし、そこに書教育の原理を確立するように努力しなければならぬ。実はそのことが、教育における書教育の意義を確固たるものにする唯一の道であり、ひいては地におちてふるわない現代の書を新しく発展せしめることへの最初の扉でもあるのである。、、、と氏はいう、(昭和31年・井島勉)

Copyright (C) 2009-2013 立体象書研究会 All Rights Reserved. 無断での盗用,転載など類似の行為を禁じます。使用等に関しては,必ず連絡ください
 

拍手[6回]

PR