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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、相手の存在の幸福を願う無我の美にたどりつくには、やはり古仏の心が、、、

― 魚 ・ 貝 ―
‐ 野柳、ホテル近くの鮮魚店 ‐ 蛤(はまぐり)‐
・・・大漢和辞典 諸橋轍次‐巻十‐p.39‐【蜃】❶貝の名。大蛤。氣を吐けば樓臺を現わすといふ。、、、【蜃氣】シンキ‐大蛤の吐く氣。蜃氣樓を見よ。、、、【蜃氣樓】シンキロウ‐天氣靜穩の時、海濱で島又は船舶等の映像が高く空際に現はれ、又砂漠で地上の物體が恰も水に映じたやうに見えるもの。この現象は、大氣の密度の層が、温度又は濕度の關係によつて相異なる時に、光線の屈折によつて生ずるもので、古は大きな蜃の口から吐き出す氣によつて現出すると想像した。、、・・・という

p.43、Ⅱ 短歌作品とその変遷 鹿鳴集の世界 南京新唱
、、、あの強烈な主我、自己中心の懊悩 から、相手の立場を想い、幸福を願うことができるようになったことである。道人の愛にたいする常識では考えられぬ繊細な想いやりの心持は、すでに多くの相聞の歌や書簡にも明らかである。ただ人間である以上、とくにデモーニッシュな情熱をもつ道人にとって、相手の存在の幸福を願う無我の美にたどりつくには、やはり古仏の心がなければならなかったのである。
、、、
 ‐ 「會津八一とその芸術」‐ 昭和52年6月 30日 3版発行・著者 植田重雄(宗教学者.哲学者)・発行所 早稲田大学出版部 

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