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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、心をこめて陳列した一つ一つの明器を手にとり、瓦や銅器を撫でながら「すざまじい半生の想い出」にひたった、、、

下図、昨日【御厨人窟・神明窟】の補足、
p.76、‐四国の聖跡‐「永遠の書像・空海編」著者 平山觀月
‐昭和四十年初版‐
四 青年時代の荒行     
・・・真魚ー無空ー教海ー如空ー空海・・・
p.100.101、、、さて無空は、この大竜ケ嶽の霊験により、、、さらに進んで修行の霊地を求めて土佐室戸崎に向かったのである。この地は南海はるかに縹渺として雄大の景観限りなく、奇岩がかたわらにそびえ立ち、、、岩窟の中に座を設けて、心を澄まし、静かに求聞の法を修行する、、、行状集記によれば「夜に臨めば、頻りに海中より毒竜並に異類の形を出現して、行法を妨げんと擬す。彼等を伏せんがため呪唾を吐散するに、その
呪唾あまねく磯浜の石に付留して、衆星の暉(ひか)りの赫奕(えき)たるが如し。この暉光を見て異類ことごとく怖畏を成し、隠没して出現せず、今に及ぶも暗夜にのぞみ磯浜の石暉曜あり、」と述べてある。、、、

p.434、・ 十 南浜秋艸堂時代 ‐ 書話二則、會津記念室のこと ‐
、、、新潟に帰る前日、二十日、、、、美術コレクションを陳列公開できるところまで漕ぎつけたのである。そこには乏しい教員生活の中で、生活を切り詰め買いあつめたもの、空襲のさ中、疎開させ、からくも無事であったもの、道人は門下生、学生たちが心をこめて陳列した一つ一つの明器を手にとり、瓦や銅器を撫でながら「すざまじい半生の想い出」(東京の一週間)にひたった。そして大学当局の誠意と門下生たちのいつもながらの師をおもう心に感謝した。
、、、
 ‐ 「秋艸道人會津八一の生涯‐ 昭和六十三年一月 三十日日 第一版第一刷発行・著者 植 田重雄(宗教学者.哲学者)・発行所 恒文社 


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