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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、捨身の覚悟で芸術の大道に合致する自己を求めた体験は目覚ましい書境の開顕となる、、、

下図、再度・・・書の縦横自在の世界・・・
立体象書作品「母」字‐鉄丸棒‐50キロ
・作品タイトル「クレオパトラが座れなかった椅子」
90度右回転すると甲骨文の「母」、詳しくはホームページを
・「脚」には‐左右の手を
・「肘掛け」には‐胴体から脚線を
・「座面、背もたれ」には‐両乳を

p.262、 ‐書境の開拓‐
、、、道人にとって、さいわいといってよいことは、短歌と書がいつも双生児のように左右にいたことである。はじめに短歌の詩的体験の昂揚があって、そのあとにがっちりとした書境の開拓がおこなわれている。明治四十一年八月の最初の奈良旅行のあとの書の没頭、そのとき、文字の明瞭達意性の根本問題に開眼している。また、大正九、十、十一年の奈良旅行、九州西国の放浪で、捨身の覚悟で芸術の大道に合致する自己を求めた体験は目覚ましい書境の開顕となる。東大寺の「金光明四天王護国之寺」の勅額を感動のあまり立ちつくして仰視していたこと、自性寺の大雅との契合も宮島大願寺の中林梧竹の行蔵の看板もまた然りである。晩年の、山鳩、観音堂、寒燈集の歌境は、赤裸々な晩年の書の縦横自在の世界と無関係ではない
、、、 ‐ 「秋艸道人會津八一の生涯」‐ 昭和六十三年一月 三十日日 第一版第一刷発行・著者 植 田重雄・発行所 恒文社
-「墨線」-できないことではあるけれども切ればその断面は丸い、という道人-

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