忍者ブログ

立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


、、、良寛と道人はまさに両極にあるといってよく、対蹠的な生き方をしたともいえよう、、、

―魚― 
(7)鳳鳥鯉魚
p.240、・圖版232‐徐州漢代畫像石 
‐中國圖案大系‐第四巻-秦漢時代-張道一主編‐美工圖書社‐
p.276.277‐良寛禅師と秋艸道人‐
、、、すべてに凝滞せず、まさに天上大風の明るさがあふれている。これに比べ、秋艸道人は、着想なった歌を五年、十年と推敲をつづけ、発表したのちも、気に入らなければ、何度も訂正を加えている。そして、最終の決定をなすにはそれ以上の年月をかけている場合がある。それだけではない。「渾斎随筆」は大部分自分の歌に関係するものか、その歌の歴史的背景の考証である。それだけで満足せず、戦後には、「自註鹿鳴集」を出版して、自己の作品の誤りなきを期待した。それだけではない。自己が奈良の諸寺院で詠んだ何首かは、自らの筆になる歌碑を上石している。このような執着というか、熱情はまれにみるものである。道人の書は、何十枚はおろか、何百枚をも書いては捨て、書いては捨て、自己が気に入るものが生まれるまでは、倦むことなく没頭しつづけた。文字通り、紙の中に埋まってこれをなすのである。このような側面からみれば、良寛と道人はまさに両極にあるといってよく、対蹠的な生き方をしたともいえよう、、、とある、「會津八一とその芸術」‐昭和52年6月30日3版発行・著者 植 田重雄・早稲田大学出版部

拍手[10回]

PR