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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、ここで、重要な点は、美術史家のそれではなく、美を美として見る視点をもって仏像に対したことである、、、

立体象書研究会練馬事務局
―作品展示棚―
・・・虚實相交はり奇想天外より來りて千古の絶唱となる・・・

p.285‐題材としての仏像‐
、、、くわんおん の しろき ひたひ に やうらく の かげ うごかして かぜ わたる みゆ 、、、この開眼の一首には、観音の白い額に瓔珞の影が幽かに揺れる美的な陶酔がある。それ以上に大切な点は、信仰の表白は微塵もない。少なくとも表面には現われていない。また自己の感情や観念をそこに投影することもなく仏像を仏像として静かに見る視点を確立していることである。ここに捉えて歌っているものは、そのまま道人の仏像に対する態度である。たしかに、道人の歌は、自由な自己の主観の感傷で歌っていないし、子規たちが標榜する客観的な写生でもない。いずれの道をも脱化して、道人はすべて自己の主観も客観的描写も消して、ただ仏像が示すしらべの中に、すべてを融合させるのである。主我的な道人が、仏像を詠むにあたっては、このような態度に到達するまでに長い精進があったと見てよい。また、それまでに、美術史的な周到な用意をもたらしたのであるが、ここで、重要な点は、美術史家のそれではなく、美を美として見る視点をもって仏像に対したことである、、、 ‐「會津八一とその芸術」‐昭和52年6月 30日 3版発行・著者 植 田重雄・早稲田大学出版部

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