忍者ブログ

立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


、、、つまり沈黙を最上に生かすことを心得てゐることが必要だと思つている、、、

下図、立体象書作品‐「望」の行書体‐上面から写す、
  鉄で筆意を造形、自立させたこの書「望」には、無限の視覚的空間が存在している、、、これが書の「間の造形」だ、だから書は難しい のだ、、、
........p.41‐比田井天来伝‐中西慶爾著‐木耳社刊‐昭和61年初版発行、、、、余談になるが「曲がりなりにも」と言ったのは、書道界が画然と自立していないことを意味している。これを具体的に言えば、わが国の学界から「書」が認められていないことである。今の書家といわれる一族は、これをいいことにして、書を習うことだけに専心してものを読まない。従って馬鹿ばかりが群生して、頭の小さい尻のでっかい人間ばかりとなる。そしてこれをとり巻く連中もいつのまにか馬鹿にしあげられて行く。こうした阿呆のような社会が一ぱしのものとしてとりあげられるわけはない。........いまだ自立の自覚に欠ける(ジュクヤ)が一端の顔をして、と言うだろう.........

、、、1953年現在、、、
 墨美 No21・p.5、
 
― 沈黙 武者小路實篤 ― 昨日より
 文学でも僕は言葉を最上に生かすことは、つまり沈黙を最上に生かすことを心得てゐることが必要だと思つてゐる。沈黙が混乱してゐる作品、殊に言葉で眞実をごまかし得ると思つてゐる作品には厚意が持てない。だまされてはやらないと言ふ気になる。尻尾を見せながら、見せないふりをしてゐる作品に時々出逢ふが、見てしまつたものをごまかすことは出来ない、、、つづく


Copyright (C) 2009-2014立体象書研究会 All Rights Reserved. 無断での盗用,転載など類似の行為を禁じます。使用等に関しては,必ず連絡ください。

拍手[7回]

PR