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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、目的を正しい姿で暗示してゐる。さう言う作品を僕は愛する、、、

下図、立体象書作品‐「望」の行書体‐やや正面から写す、
作品に光をあてて背景(紙面)に重なるその影も「望」字、、、背景(紙面)に生まれた「望」字は平面であり、その前に在る立体象書作品の「望」の素材は鉄、金属で筆意を表現したこの書「望」には無限の視覚的空間が存在している、、、これが「間ま」、書を書くということは「間の造形」だ、だから書は難しいのだ、、、

、、、1953年現在、、、
 墨美 No21・p.5、
 
― 沈黙 武者小路實篤 ― 
「言葉、言葉、言葉、言葉がすべてである」
かう言うやうな言葉を聞いたことがある。少し誇張して覚えてゐるのかも知れない。たしかに文学は言葉の魅力を極度に生かすもので、言葉なしに文学は生れ得ない。しかしだから言葉であらゆるものが表現出来ると思へばまちがいで、言葉では言へない境地がある。寧ろその方が多いのである。言葉は言葉であらはし得る範囲内では、万能であらう、しかし言葉であらはせない境地を味はへ得ない人があつたら、その人は本当に尊敬すべき人とは思へない。画家でも何でもかける人がある。かけない境地を持たない人がある。達者な感じは受けるが、余韻は感じられなく、深みが感じられない。無限に向かつて矢を射る、目的には達しないが、目的を正しい姿で暗示してゐる。さう言う作品を僕は愛する、、、つづく
 
....武者小路實篤、使用した硯は澄泥硯、墨は古墨だったと聞いたことがある、贋物にはこの潑墨、墨色でわかるのだということも..............

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