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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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・・停滞化した形態になってしまい、ほんとうの動きというものがでてこない・・

p.320‐老子‐中国古典名言事典‐諸橋轍次‐昭和47年発行‐講談社、
三十輻(さんじつぷく)一轂(いつこく)を共にす。其(そ)の無に当たりて、車の用あり。
  三十輻共一轂。當其無、有車之用。(十一章)
 車には轂(こしき)が一つあって、そこから三十本の輻(や)が出ている。それが「三十輻、一轂を共にす」である。しかし、車のいちばん大切な所は輻でも轂でもない。轂の中にあいている孔(あな)の空虚な所、すなわち無の部分である。そこに心棒がはいっているから車が回転する。このように、万物の働きは、いつでも無から起こってくる。すなわち、有の働きはすべて無から出てくる。物があるということは、要するに物の働きがあるということであるから、有は無から生ずるという老子の根本思想にも通じる。
下図、作品「無」、実線は勿論、空虚な所、無の部分の働きを、そこ(正面、側面、上面)に存在させる、、、これが書の芸術性である。ただいまサンドペーパー80番、、、しかしよく審査などできるものだね、「書は美術ナラス」明治15~なにも変わらない書写書道教育、、、

 NO.46 7(JUILLET)1955 BOKUBI「墨美 特集 触覚性」
昨日のつづき、p.28、「よみがえる東洋」より
 鈴木大拙博士の講演集である右の書籍(読売新聞社刊)より、本号の主題「触覚」に関係すると思われる部分を抜萃紹介させて頂くことにしました。、、、(編集部)とある、
「アメリカの生活と文化」より、p.28.29、昨日のつづき、
、、、そこに困難な問題があるので、一方では一般化せんといかぬが、しかし一方では個人の動きが出てこないといかぬ。そうでないと、一般化ということも一つの停滞化した形態になってしまい、ほんとうの動きというものが出て来ないことになる。そこで、個人の生活においても、また国家というものにおいても、また世界全体の生活においても、その問題が現われてきている。すなわち、今日の情勢は人間生活の一般化の行きづまりから出てきたといってよかろうと思われる。これは国際関係、政治や経済の方の関係だけでなしに、芸術の方面においてもよほど見られる、、、とある、 (1955 BOKUBI)より、つづく
....一般化、、、ほんとうの動き、、、芸術の方面においても.....

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