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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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ところが書というものには非常に感心させられる。

―魚―
下図左:嚴一萍 編 「金文總集」10冊・藝文印書館印行 ・序に、、、、時在中華民國七十二年八月・秀水
嚴一萍。とある、
右:
青銅器銘文検索(四)‐「魚」字検索→ 「魚」1878、p.1562‐0029‐魚鼎一 「金文總集」の図版拓‐0029、の「魚鼎一の拓図」その下に「三代2.3.3」とある、‐三代吉金文存・巻二の三の三図‐という、



昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社
―書をさしはさんでの東西の交流― (ヨーロッパ旅行の一コマ)
p.278.279、昨日のつづき
、、、こういう問題を離すときに、外国人にはどうしても説明してかからねばならぬことは、日本の国の古いことだ。フランスも古いかもしれぬが、日本の方も古い、なにしろ神代から始まるのだjから(これは冗談)。そして日本の生活感情というものが、その地理的事情や政治的状態というものによって、ある特異な姿をとってきたということを説明しないと、現代の動向の意味がじゅうぶんには理解されないだろうと思うので、そこから始めた。、、、討論が始まる。その討論はなかなか活発なものだった。そして理路整然としている。日本の作家の場合だと、自分はそうは思わないとか、どれが好きだとか嫌いだとかばかりいっていて、さっぱり理論にならぬ。この点は注目してよいことだと思う。ここでも、日本の現代絵画というものにはあまり感心しない、ところが書というものには非常に感心させられる。そうするとカリグラフィーというものと絵画とはちがったものであるような気がするが、果たしてちがうものと考えてよいのか、あるいは同じ性質のものとみてよいのか、という質問が最初に出た。・・・という(1956年・井島勉氏)、 ・・・
理路整然・・・

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