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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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書は本来的に抽象芸術である。それはけっして対象を写す芸術ではない。

―魚―
―「故宮西周金文録」―出版社 國立故宮博物院・中華民國九十年初版一刷
下図左、‐96‐p.155の図版、もうこうてい「毛公鼎」、p.283・相關資料:毛公鼎據傅於清道光28年(西元1814年)前後・在陝西省岐山縣出土・・・
下図右、p.160の銘文、「魚」字中央、
・・・中国書道辞典 中西慶爾編 木耳社、p.917.918に、・・・現存古銅器中で銘文最も多く、四九九字を三二行に配置している・・・陳介祺・端方など数人の所有者を換えたが、大戦中海外流出をおそれて国民政府の所管となり、戦後台湾に移されて、台北中央博物院に現存・・・

昭和三十一年「書の美学と書教育」 井島勉・墨美社
―現代における日本の書の動向について― (パリにおける講演要旨)
p.259、昨年12/30、のつづき
、、書は本来的に抽象芸術である。それはけっして対象を写す芸術ではない。何故ならば、書が文字を書くといっても、厳密には文字を写すのではない。文字は一つの約束にすぎない。たとえば「三」を書く場合、水平線を横に三つ並べると、それは「三」という字になるが、それをどんな線で、どんな幅で、どんな力と早さで書こうと、それは全く書く人間の自由である。かかる人間の表象活動は当然芸術性をはらむ。加えるに、筆と墨と紙という東洋独特の材料が、造形的な芸術活動に重要な役割を演じる。たとえば墨色の深い味わい、筆のもつ独特のはたらき、紙の微妙な反応、それらが書の芸術性を支える重要な契機としての役割を担う。・・・(1956年・井島勉氏)、

かかる人間の表象活動は当然芸術性をはらむ。という1956年、、、今2014年

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