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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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第五回立体象書研究会講習会報告

講習会では、「書」を分かりやすい方法(3次元)で、書の美を古典から、空海の書から、顔真卿の書から「筆意」を摑み出す!!!という講習会でした。
素晴らしい古典という紙面の「書」、、、書は平面ではあるけれども、、、実は、、、じつは、、、
紙面に筆で字を書けば「書」になるのかといえば、それは単る「お字書き」である!!!という、「書」に対する立体象書研究会の考え方なのです。
下図、可比丹(カピタン)の台北、故宮博物院で見た、顔真卿の祭姪文稿の半紙臨書です、、、けっして拡大コピーをしているわけではないのです!!!顔真卿の筆意を摑みだし、、、摑むということは、「目の前でもいいし、頭の中でもいいのですが、顔真卿の「書」の造形(リズム、バランス)をもとに、空間造形(3次元)にする」と、いうことなのです、、、そして、半紙に向かい毛筆で、3次元を→2次元にして筆意を表現するということが平面に「書を書く」ということなのです!!!
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補記、一九五四年發行 「今日の書道・安藤更生 堀江知彦 共編」 二玄社
ー書家に寄せる美学ー 井島 勉
 獨創と古典 p.13
 優れた藝術は常に獨創によって形成されるほかはないが、それは内に深く普遍者を宿しているが故に、制作者以外のすべての人間に向つて、いわば美に一つの範例ととして、普遍的に妥當することができる。古い時代の藝術が、後の時代の人々に對して、このような範例性を確保していると考えられる時に、それは特に古典といわれる。古典が尊重されるのは、それが古い過去に作られたことによるのではない。今もなお生きている故に、いいかえると常に新しい生命を保持しているが故に、貴重なのである。そしてこのことは、古典で個人を超え時代を超えて妥當する悠久な普遍によって支持され、これを正しく代表しているからにほかならない。この故に、われわれは、深く古典を愛することによって、このような普遍者にいくらかでも參じることができる。だから、古典に還れということは、藝術の根源に還れということであって、かかる意味における古典の研究は、獨創の尊重と決して矛盾しあうものではない。むしろ兩者は、藝術的には、全く同じ意味なのである。、、、という(1954年)


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