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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、表現と気持の上で紙一重の距りも、毫釐(ごうり)のすき間もあってはならないのである、、、

下図
「秋艸道人 會津八一の生涯一 植田重雄」
昭和63年7月15日第1版第2刷発行‐著者‐植田重雄‐恒文社
・函(はこ)表・帯に、
謎のごとき問題を投じて生きた道人の美意識と藝術論を追う!
・函(はこ)裏 ‐魚と鳥‐、
‐植田重雄先生‐懐かしさうれしさがこみあげてきます、、、

p.161.162
、、、氾濫している書物を「天下無用のもの」と断じ、読むことも自ら書くことも拒絶し、完全に自らの道を歩もうとする。「北人社」から書出品の依頼をうけたとき、数百枚書いた中から、二、三十枚をえらび、その中から一枚をようやく人に示す位であると述べ、「拙者は他人とちがひて線がまがりしとか、形がゆがみたりとかいふにて書損ずるにあらず、自分の氣持ちがありのまゝに表れ居るか、居ぬか、自家の趣味をあらはし居るか居らぬかを標準として検閲し、意に満たざれば、内外へ出さぬ習慣にて候」(大正八年四月三十日、式場益平宛)。「自己の氣持」「自家の趣味」は、自らの内部に秘められているきびしい基準と戒律である。自己の気持が「ありのまゝ」に現れているかどうか、表現と気持の上で紙一重の距りも、毫釐(ごうり)のすき間もあってはならないのである。
 大正二年すでに、「自我作古」(我ヨリ古ヲナス)とか、道徳経の「渾兮若濁」(渾トシテ濁レルゴトシ)の印をつくらせている、、、

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