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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、古いもののほうが新鮮で格調高く、生命の躍動してゐるがゆゑに、これを酷愛したのである、、、

下図
「會津八一 人と書」‐昭和57年2月10日‐第7版‐長坂吉和
・p.162、法隆寺の百済佛の歌
‐あせたるをひとはよしとふ頻婆果のほとけのくちはもゆべきものを‐
、、、自註鹿鳴集には、「びんばくわ・BIMBA。印度の果実の一種にして、その色赤しといふ。(中略)世上の人とかく骨董趣味に陥りやすく、色褪せて古色蒼然たるものをのみ好めども、本来佛陀の唇は、赤くして輝きあるのが特色の一つなるものを、というなり」、、、

p.26.27.28、、、道人は、郷土の先輩でもある良寛を終生尊敬し、心の支えともしていたのである。良寛の芸術家としての生き方について、吉野秀雄はその文にこう書いている。、、、良寛は知識と感覚に富む上に、稽古に熱中した人だ。いはば、ほんとうは玄人(くろうと)中の玄人なのだ。ただあへて素人をもって自任してゐるだけだ、、、歌、詩、書の三者をひっくるめていへるのは、良寛が古いもののよさをかぎつける天才であったといふことだ。古いものを古いがゆゑに尊重したのでなく、古いもののほうが新鮮で格調高く、生命の躍動してゐるがゆゑに、これを酷愛したのである。しかしかれは素直に伝統にしたがひつつ、いつしかはっきり個性を打ち出してゐた。いやむしろ、かれの心緒はもともと古代の純真に相通ってゐたので、伝統をそっくり押し涵すことができたのである。表面には個性のそぶりもないが、良寛ぐらゐ個性の顕著な人間は世に少ないといってさしつかへない。かれの詩句に、「心中の物を写さずんば、多しと雖も復何をか為さんや」(ほんとうに自分の心に実在するものを表現せぬなら、いくら作っても反故(ほご)だ)とあるのは、いひかへれば、かれの芸術がかれの個性的生活の実際にもとづいてゐたといふことである」‐吉野秀雄・「芸術家良寛」・「やはらかなこころ」、、、道人がとらえた良寛像もおそらくこうしたものであったと思われる、、、とある

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