忍者ブログ

立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


、、、特に厄介千萬なのは賞鑑用の書としては、本來が藝術本位でなければならぬ筈の書道の中に拙劣極まる人物本位の揮毫物が後世になつて飛込んで來た、、、

―「魚」字― 
・古陶文彙編 高明 編著 北京:中華書局
 1990年3月第1版 2004年10月北京第2次印刷
・p.3ー六図
 p.1、「一、商代陶文」‐出土地點‐河北藁城‐
 拓本來源‐據≪藁城、1・13‐14‐臺西≫複製
 1・9「卜」、「七」、「巳」、「目」、13「魚」、14「魚」

、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふと天来は云ふ、、、」・昭和十三年發行 天來翁書話
 ‐人物本位の賞觀的揮毫物が藝術的書道に及ぼせる影響(上)‐
.304、
、、、 書は繪畫其他の藝術と異つて、實用といふ大切な役目を有つて居る爲に、餘り突飛な眞似も出來ないといふ拘束もあり、特に厄介千萬なのは賞鑑用の書としては、本來が藝術本位でなければならぬ筈の書道の中に拙劣極まる人物本位の揮毫物が後世になつて飛込んで來た。此れが抑々書道といふものの藝術的價値を輕からしめた一大原因である。それも日本にしても、支那にしても、百年位前までは我慢も出來るが、近年に至つては、二三の人を除けば醜陋極まる者が多い。此等の揮毫物が世人に愛玩されるやうになつた爲に、書といふ見解が人に依つて区々になつて來るのは、寧ろ當然であるといふことも出來る、、、(大正十二年) 藝術・書を語る天来先生。




拍手[8回]

PR