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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、虚名とか虚榮心とかいふやうな不純分子は何人の心の底にも固よりあらう筈はない。藝術家も賞鑑者も全く作品本位であるべきだから、、、

―「魚」字― 
・古陶文彙編 高明 編著 北京:中華書局
 三、山東出土陶文、p.20‐122‐3.318・3.319、
 ともに、出土地點‐臨淄、拓本來源‐自藏とある、
・p.122、3.318、3.319の拓図、

、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふと天来は云ふ、、、」・昭和十三年發行 天來翁書話
 ‐人物本位の賞觀的揮毫物が藝術的書道に及ぼせる影響(上)‐
.305.306、
、、、後世人のやうに書は讀めさえすれば其れで可いといふやうな主義で、臆面もなく拙筆を振り回はすやうな亂暴者は居なかつたやうに思はれる。特に其時代の人は勿論淳朴であるから、虚名とか虚榮心とかいふやうな不純分子は何人の心の底にも固よりあらう筈はない。藝術家も賞鑑者も全く作品本位であるべきだから、無論作者の姓名などを作品中に記す必要は無かつたのである。誰の作であるから善いとか惡いとかいふやうな耳學問を以て、物識顔をするやうな輕薄な人間は居なかつたに相違ないが、何人も書に重きを置く時代であるから、必ずや相當の具眼者が有つて、十指の指さす所上手は上手、下手は下手と、今日よりは寧ろ正確にして動かざる定評があつて、專門家の技倆を十分に揮はせたものに極つて居る。故に後世の人をして驚嘆措かざらしむるやうな藝術品が出來したものであらう、、、(大正十二年) 藝術・書を語る天来先生。

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