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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、舊習とか古式とか云ふ事に未練があつては、思切つた大事業を達成する事は出來ぬ。書も亦同じ事であつて、、、

―「魚」字― 
~甲骨~
・續甲骨文編・藝文印書館印行・中華民國八十二年九月初版
表紙‐金祥恒撰‐「續甲骨文編」・靜農題‐印「臺靜農」、自序に、、、錢思亮、李濟之、沈剛伯、臺靜農、戴君仁、毛子水、嚴一萍先生、、、中華民國四十八年十月金祥恆序於臺北。とある、
・巻十一・一五 
魚、水蟲也象形魚尾與燕尾相似 語居切、とある、

、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふと天来は云ふ、、、」
昭和十三年發行 天來翁書話

 ‐ 鳴鶴先生追相談 ‐ 
.293
、、、明治維新の改革が幕末の積習を打破して、歐米文化の輸入を圖つたのは、舊習とか古式とか云ふ事に未練があつては、思切つた大事業を達成する事は出來ぬ。書も亦同じ事であつて、日本の書道も足利時代から甚しく纎弱の者になつて、和習の短所が益々露れて來た、之が爲に其の反動として德川時代に唐樣が入つて來た。が貫名海屋等を除くの外、書家は多く明人風を擬し、明治初年の書は一般に餘程低級の者であつた、斯の如き時代に因循姑息の手段では、大改革を圖ることは到底六ケしい。此の時に當り恰も清國より公使館附として金石文字學の大家楊守敬が來朝した、此れ吾國に於ける書道革新の動機であつた、此の動機を慥に攫まいて書道に一生面を開かれたのは吾鳴鶴一六兩先生である
、、、(大正十一年) 藝術・書を語る天来先生。

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