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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、書をかくには人に氣兼をしないで、自己が書いた文字を自己が賞鑑する氣分を以て書いた作品には必ず傑作が出來るからである、、、

―魚― 
・青銅器銘文檢索p.1563 6958 魚乙正鐃三
 [魚乙正]
・金文總集p.3822 6958 乙正鐃三
下図拓図版
・殷周金文集成釋文・第六巻ーp.450   410 魚乙正鐃 
   魚乙正 
 字數:三 
 時代:殷

、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふ、と天来は云ふ、」
昭和十三年發行 天來翁書話

 ‐書の韻致‐  昨日のつづき
.384.385、
、、、昔の書論の中に、書の巧拙を身分別けにして統計的に之を論じたものがある。仙人のやうな世捨人が第一で、國王が第二としてある。この事は如何にも道理のある事と思はれる國王にしても世捨人にしても人に氣兼をする必要はない。書をかくには人に氣兼をしないで、自己が書いた文字を自己が賞鑑する氣分を以て書いた作品には必ず傑作が出來るからである。藝の高下はその人の天分に因ることは勿論であるが、書を學んで同じ功力を用ひたものとすれば、その人の書を作る時の氣分が直に書の性情となつて現はれるのであるから、その作者の製作當時に於ける心の作用がその作品に關係を及ぼすべき事は之を否認することは出來ぬ、、、
(昭和七年) 藝術・書を語る天来先生、つづく

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