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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、韻致などゝいふ高尚の文字は、藥にしたくもその存在を認めることが出來なくなるのである、、、

―魚― 
・青銅器銘文檢索p.1563 6993 弔旅魚父鐘 朕皇考
弔旅魚父
・金文總集p.3849 6993 叔旅魚父鐘 13字
下図拓図版
・殷周金文集成釋文・第一巻ーp.20  39 叔旅魚父鐘 
   朕皇考弔旅魚
  父(宀+豐)□
  降多福無 
 字數:一三 
 時代:西周晩期
 現藏:天津市歷史博物館

、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふ、と天来は云ふ、」
昭和十三年發行 天來翁書話

 ‐書の韻致‐ つづき
.385.386、
、、、處が專門になるとその藝に對する責任もあり、自分が專門家であるといふことを自覺してゐる爲に、餘りに力瘤を入れすぎる爲に俗氣も出て來る。又韻致もなくなり易い爲に、書家の書が賞鑑者に嫌はれて、餘技家の書は嘔吐を催すやうな惡俗のものであつても、世人に喜ばれるやうな結果になるのである。故に專門家たるものは、この點に最も注意しなければならない。そうかといふて吾輩の書は人に見せる爲ではない。人が見て何と謂はふがその人の勝手である、そんな事は吾輩の關する所ではない、といふやうな豪傑氣分で書くのはどうかといへば、それも書以外の餘計のことを考へるのであるから、觀者の批評を彼是心配するのと少しも變りのないばかりでなく、心に粗暴と倨傲とが加はるので、却て俗惡のものになり、覇氣といふ恐ろしい邪道に墮落するから、韻致などゝいふ高尚の文字は、藥にしたくもその存在を認めることが出來なくなるのである、、、 
(昭和七年) 藝術・書を語る天来先生、つづく

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