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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、額や輻を書かんとする者が、現代人の流儀を習ふといふこと程不見識にして無意義の事はないのである、、、

金曜日(17時)と日曜日(11時)の東京国立博物館「日本国宝展」、


、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふ、と天来は云ふ、」
昭和十三年發行 天來翁書話

 ‐書の韻致‐ のつづき、
.386.387
、、、 その作品は自ら程度の高いものが出來る譯である。隨つて韻致も出て來るのが當然であらね ばならぬ。又師古法なるべしといふことがある古人の書を學んだ方が善くも出來、又自然に韻致のある書も書けるからである。繪畫などには、天然物で形が定つてゐて、之を師とする事が出來るけれども、書は人の作つたものであるから、人の手本を學ぶより外に方法がないのである。昔の人の書いたものは盡く善いといふ譯でないが、書は古に遡る程巧みでもあり、又韻致にも富んでゐるといふ事は爭はれないのみならず、永い年代中で傑出した大家から選ぶのであるから、惡い筈はないのである。手紙を書くとか、實用に間に合せるぐらゐには、今の人の書いた手本で學んでも差支ないが、額や輻を書かんとする者が、現代人の流儀を習ふといふこと程不見識にして無意義の事はないのである、、、 
(昭和七年) 藝術・書を語る天来先生、つづく

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