忍者ブログ

立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


、、、故に藝術家は、自己が之を作りつゝ之を賞鑑する心持で作るといふことが最も肝要のことである、、、

―魚― 
・青銅器銘文檢索p.1563 7765 魚鉞 [魚]

下図拓図版
・金文總集(十)p.4540 7765 魚鉞 1字


、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふ、と天来は云ふ、」
昭和十三年發行 天來翁書話

 ‐書の韻致‐ 昨日のつづき、
.386
、、、然らば如何にすれば韻致のある高尚の文字が書けるかといへば、善惡に拘らず、その作品の製作中に考へるといふことがよろしくない。その人の技倆の割合に、時によつて作品の惡く出來ることのあることは、あとでこれをよく考へてみれば、必ず揮毫中に何等かの雜念に惱まされてゐたことが思當るであろう。故に藝術家は、自己が之を作りつゝ之を賞鑑する心持で作るといふことが最も肝要のことである。以上の如き心持で作れば、自己が本位になるので、韻致もあり又善く出來るのも當然であるから、その人の鑑識眼の進んでゐる人であれば、その作品は自ら程度の高いものが出來る譯である。隨つて韻致も出て來るのが當然であらねばならぬ、、、 
(昭和七年) 藝術・書を語る天来先生、つづく

拍手[8回]

PR