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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、「筆力といふものは、筆の中にじつくりと力がこもつてゐる時が、本当の筆力なのである」、、、

―魚― 
(1)魚紋銅洗的内底圖案 ‐安徽壽縣出土‐
p.166、・圖版158‐漢代青銅器及其紋樣 
‐中國圖案大系‐第四巻-秦漢時代-張道一主編‐美工圖書社‐

p.36.37、‐ 美の感受性と純粋感情‐にて、つづき、、、道人は歌を詠むにあたって渾身の力をふるい、感情の透徹を目ざしたことはいうまでもないが、そこには、三尺の線をひく力量をもって、一尺の線を書いた。百首よむ力で一首を詠んでいる。作品の完全性とは、力の充実感のことである。三尺の線を一尺に縮小するのではなく、一尺の線に三尺の線の力がこもることである。百首の歌の内容が一首の中に溢れることである。、、、暴風に波立つようなはげしい筆の運びは、一見、勇壮で悲愴に見えるけれどいらいらした時代の青年の客気にすぎない。力が強そうにみえて、がっちりしたところがない。「筆力といふものは、筆の中にじつくりと力がこもつてゐる時が、本当の筆力なのである」、「何もなしに、底に力がどつしりとこもつてゐるほうが、ポテンシャルな力のこもつた字である」このことは、平淡のうちに至味ある歌をよしとした態度とまったく同じである、、、とある、「會津八一とその芸術」‐昭和52 年6月30日3版発行‐著者‐植田重雄‐早稲田大 学出版部

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