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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、どこまでも純粋な味わいに昇華したエキスに凝結を求めている、、、

―魚― 
(1)浮雕水鳥啄魚圖案
p.161、・
圖版153‐東漢晩期石刻和石圖案 
‐1975年四川合川縣東漢畫像石墓出土‐
‐中國圖案大系‐第四巻-秦漢時代-張道一主編‐美工圖書社‐

p.36、‐ 美の感受性と純粋感情‐にて、秋艸道人の内部を、植田先生はこうつづる、、、道人の抑制力、自省力は、強烈な感受性の中から、長い年月をかけて鍛え上げ、練り上げて、醗酵させて短歌や書の濃厚な純粋性を持ったのである。日本によくある生まれながらの野性味を自己の個性でもあるかのように誇示したり、これが自己のありのままの赤裸々な人間味であるかのように、じつは捨て鉢なのだが厚かましくふるまう芸術がある。あるいは芸術であるかのように見せかける。ただの野性味だけであるならば、一般性があって、拍手喝采をうけやすい。こうした嫌悪すべき野性味が日本の文学や芸術を毒している。道人の芸術はそうした方向には向かわず、どこまでも純粋な味わいに昇華したエキスに凝結を求めている、、、とある、「會津八一とその芸術」‐昭和52 年6月30日3版発行‐著者‐植田重雄‐早稲田大 学出版部

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