忍者ブログ

立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


、、、巖の上に花咲かん、巖に花燃ゆるべしということである、、、

下図、
「華巖集」(かがんしゅう)‐1997年11月30日発行
早稲田大学名誉教授、文学博士、宗教現象学、宗教芸術研究、
和歌同人誌「淵」編輯 
あとがきに、、、歌集の題名は「華巖集」(かがんしゅう)である。強いて意味を問われれば、巖の上に花咲かん、巖に花燃ゆるべしということである。、、、題簽は北川修久氏が力を添えてくれた、、、‐植田先生にはいろいろなお話をうかがうことが出来ましたこと、心より感謝です‐
 
p.22.23‐ 精進と自己批評‐にて植田先生はこうつづける、、、処女歌集「南京新唱」の「自序」は、孤高の道の宣揚である。「もし歌は約束をもて詠むべしとならば、われ歌を詠むべからず。もし流行に順ひて詠むべしとならば、われまた歌を詠むべからず、吾は世に歌あることを知らず、世の人また吾に歌あることを知らず。吾またわが歌の果てよき歌なりや否やを知らず。たまたま今の世に巧なりと称せらるる人の歌を見ることあるも、巧なるがために吾これを好まず。奇なるを以て称せらるるものを見るも、奇なるがために吾これを好まず。新しいといはるるもの、強しといはるるもの、吾またこれを好まず。吾が真に好める歌とては、己が歌あるのみ。採訪散策の時、いつとなく思ひ泛びしを、いく度もくりかえし口ずさみて、おのづから詠み据ゑたるもの、これ吾が歌なり。さればにや、一人にて遠き路を歩きながら、声低くこれを唱ふるとき、わが歌の、ことに吾に妙味あるを覚ゆ。われ奈良の風光と美術とを酷愛して、其間に徘徊することすでにいく度ぞ。遂に或は骨をここに埋めんとさへおもへり。ここにして詠じたる歌は、吾ながらに心ゆくばかりなり」。、、、とある、「會津八一とその芸術」‐昭和52年6月30日3版発行‐著者‐植田重雄‐早稲田大 学出版部


拍手[7回]

PR