忍者ブログ

立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


、、、そこに生命が充溢し、美の王国が豊かにはぐくまれていったのである、、、

―魚― 
下図、‐
(3)魚鶴及五銖錢紋銅洗的内底圖案
p.150、・
圖版142‐東漢時期銅洗圖案 ‐山東蒼山縣出土。
‐中國圖案大系‐第四巻-秦漢時代-張道一主編‐美工圖書社‐

p.22.23‐精進と自己批評‐にて植田先生はこうつづける、、、創作のはげしい火と峻烈な自己批評とが、道人の内部に共存し、一層気むずかしくなっていった。とくに創作に没頭しているときは昂ぶり、怒りやすくなる。現在の自己の表現能力よりも高所に目標をおくからである。秋艸堂の各時代を通じて、この自己の究めようとする事柄のほかは、世俗的な生活に無関心であったので、合理的知性を身につけたインテリや通俗的な人々にその言行が奇矯のごとくうつったのである。自己にたいする厳しい要求は、芸術にたいする完全性を求める熱情のあらわれである。道人は秋艸堂を聖域として、孤高を持した。普通孤高を持していると、不平も出、偏屈固陋になり、ものを見る眼も柔軟性を失い、感受力も鈍りがちになる。ところが道人の孤高は、芸術への奮闘ときびしい自己批評に貫かれ、そこに生命が充溢し、美の王国が豊かにはぐくまれていったのである、、、とある、「會津八一とその芸術」‐昭和52年6月30日3版発行‐著者‐植田重雄‐早稲田大学出版部

拍手[8回]

PR