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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、故に漢碑の研究を眞面目にされたのは、鳴鶴先生を以て嚆矢としなくてはならぬ、、、

太宰府・九州国立博物館
―台北・故宮博物院「神品至宝」10/7~11/30―
最終日会場、王羲之.定武蘭亭序・散氏盤・新嘉量・四庫全書等々、


、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふと天来は云ふ、、、」
昭和十三年發行 天來翁書話

 ‐ 鳴鶴先生追相談 ‐ 
.292
、、、
我國に書道の到來したのは、何れの時代であるか明に分らないが、古く見ても三國魏以後の事とみなければならぬ、故に書體から謂へば楷行草の三體に限られて、德川時代に隷書を書いた人も少しはあるが、明代の書家が意を以て作爲した俗體を更に學んだ者で、隷書らしい隷書を書いた者は一人もない。佐久間象山が經學の餘暇、金石文學に着眼して、漢碑を學んだ形迹はあるが、少しばかり端緒を得た位の者である。吾が鳴鶴先生は各書體共に通じて居られ、草書及び隷書が尤も得意とされた所である。梧竹翁及び一六翁も隷書は書かれたが、梧竹翁の書は飄逸を主として意造の文字多く、誤字俗字を平氣で書いて居られる嫌があり。一六先生は隷書を得意とされて居られなかつた。故に漢碑の研究を眞面目にされたのは、鳴鶴先生を以て嚆矢としなくてはならぬ、、、(大正十一年) 藝術・書を語る天来先生。

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