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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、作品に苦しんだ痕跡があれば、韻致は隱れて了ふ。さうかというてどうでもよいといふやうな冷淡な處があつてはよろしくない、、、

―魚― 
下図拓図版
・殷周金文集成釋文・第二巻ーp.19 1127 魚 
   魚 
 字數:一 
 時代:殷

、、、眞に善い書を作るといふ事は難かしい、何んとなれば學べば學ぶ程目が見えてくるからである、これ程奥行のある面白い藝術は他にあるまいと思ふ、と天来は云ふ、」
昭和十三年發行 天來翁書話

 ‐書の韻致‐ のつづき、
.387.388
、、、 故にその藝に忠實であればある程、その目的とする所が高い爲にいつもその作る字に精力の全部を盡し、力瘤を入れ過ぎる爲に、若いうちの書にはゆとりがなく、年をとる間に專門家には癖が出て來るから韻致の出て來る餘裕がないのである。專門家たらんとするものは、學ぶ時には細かい處迄力を用ひ、書くものには餘り心配せず、淡泊に緩やかに、百の力を有つてゐるものとすれば六十か七十の力を用ひて作つたものには、必ず餘力があるから苦しく見えない。作品に苦しんだ痕跡があれば、韻致は隱れて了ふ。さうかというてどうでもよいといふやうな冷淡な處があつてはよろしくない。此處の兼(かね)合が作者の人格が見える處で、最も難かしい處である、、、 
(昭和七年) 藝術・書を語る天来先生、つづく

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