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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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”書”その果てしない世界

下図、 書を語るⅠ 1988年3月25日 第3刷発行・二玄社
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上図、”書”その果てしない世界 田近憲三(美術評論家)
 書は心を養う世界である。、、、と創めて
、、、たとえ一点でも二点でも原拓を持たれるとすばらしい。。それ原拓は不思議な魅力であるは碑面の筆蹟の一切の深さや厳しさや、その精神から価値までもすべて紙上に吸いとってそれを眼の前にみせるほどの直接な魅力をもつものである。、、、だからその一帖だけみると圧倒されてしまうが、それを唐の顔真卿なり李邕(りよう)の碑帖と対校してみると、そこには比較ほど厳しいものはなく、書道の上ではさしも雄俊な韓琦の筆力が、たちまちしずまってみえるありさまである。そしてそのとき、「肉骨にあまる」などという中国の學者の評までがなるほどとうなずかれる次第だが、それらは一つに比較すればこそ私達にも解るわけである。、、、名蹟の比較ほど面白いものはない。双方の高手が火花を出し、その性格を明らかにして隠れた深さを出すからである。さもないと私たちは表面だけを見てしまうかもしれない。漢の有名な曹全碑(そうぜんひ)は、優婉で、春宮の奏楽に、舞姫が軽羅(けいら)を舞わすようである。だが比較すると、繊美のかげに、六朝あたりの豪放をしずめる見えない力をたたえている。書は最も深奥に達した芸術だが、表現に飾りや説明がないだけに、もっとも難しい内容になっている、、、東洋だけが生みだした書道の深さに触れあう方々が一人でも多くでることを期待したいところである。 
 〈四五・九〉
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