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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、『これは芸術である』とか、『芸術はそんなものち゛やない』とか、、、

―魚― 
(2)雙魚金錢紋銅洗的内底圖案
p.150、・
圖版142‐東漢時期銅洗圖案 ‐山東蒼山縣出土。
‐中國圖案大系‐第四巻-秦漢時代-張道一主編‐美工圖書社‐

「會津八一とその芸術」
昭和52年6月30日3版発行‐著者‐植田重雄‐早稲田大学出版部
p.20、 道人に私淑して秋艸堂に出入りを許されていた作家の大鹿卓はつぎのように述懐している。「私は長い年月の先生との談笑のあひだに、私自身にとつても大事なことを教へられた。それは芸術といふものの尊さと、芸術家の在り方に就いてである。これは言葉をもつてしては軽々といひ尽せないものがある。敢へていへば、孤高といふことの重さ、深さ、尊さを、先生は身をもつて私の眼前に示されたといふことにもなるが、やはりそればかりではない。先生は学問の領域においても、独創の有無を評価の基準にされてゐたやうに思はれる。『これは芸術である』とか、『芸術はそんなものち゛やない』とか、先生はしばしば力をこめてそんな風にいはれた。片言隻句のそこには、芸術は独創であるといふ心の響きが、ふかぶかとこもつていた」(会津八一先生を悼む)。おそらく、この言葉は、秋艸堂に出入りしていた人々のたれしもが感じたことを代弁しているといえよう、、、と植 田先生。

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