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立体象書研究会事務局日記

一般社団法人立体象書研究会のホームページをご覧になっている方々からのご要望にお応えすることになりました。書はもともと難しいものとは思うけれど、立体象書研究会の考えていることが、わかりやすく、楽しく知ることができるページができたらいいね!このような要望が事務局によせられています。 -難しいことを、わかりやすく楽しく考える- そんなページができたらいいな、3次元の世界をわかってもらえるとうれしいな。そんなページを思い描きながら、事務局ブログにとりくみたいと思います。

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、、、さらに自分が己の芸術の最大の批評家でなければならない。そこに道人のきびしさがある、、、

―魚― 
(8):富貴昌宜侯王大好王:銘雙魚紋銅洗的内底圖案
p.149、・
圖版141‐東漢時期銅洗圖案 1975年湖南桃源縣大水田公社出土。
‐中國圖案大系‐第四巻-秦漢時代-張道一主編‐美工圖書社‐

「會津八一とその芸術」
昭和52年6月30日3版発行‐著者‐植田重雄‐早稲田大学出版部
p.19.20、つぎの文章は「棟方志功推薦文」であるが、道人の態度をよくあらわしている。、、、粗悪な模作で本物を平凡にする追随者もある。有名になつた人々だけを褒めそやして其の日を暮らす批評家もある。こんな連中が寄つてたかつて自分の芸術を悪くしても、けつして良くしてくれるものではない。ところが、更にたちの悪いのは、指導者を以て任ずる尊大なのがある。しかし、芸術は飽くまで自分の為めのものであり、自分のものである。従つて先ず、何よりも先に、自分が見て我慢の出来るものでなければならない。ほんとの芸術は其所から始まる。かれこれ云ひたい人は、作者の手を離れてからにするがいゝ。それまでは作者一身の私事であつて、他の容喙を許すべきではない。従つて芸術家にとつては、自分以上の批評家も指導者も無い。そんなものを当にしたり、恐れたりするのは、芸術家たる資格の乏しさを自分で証明するのも同じことだ」。
 まず何よりも芸術は自分のものであり、自分が見て我慢の出来るものでなければならないし、さらに自分が己の芸術の最大の批評家でなければならない。そこに道人のきびしさがある。
、、、と植 田先生。

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